もし吾妻ひでおの美少女マンガを読んでいたら、『ジョーカー』も多少は癒されていたかも

追悼:吾妻ひでお『SFと美少女とアル中と』

7代目アニメージュ編集長(ほか)大野修一

吾妻ひでお先生が去る10月13日に逝去されました。享年69。

最近、何かを見たり、何かを聞いたりして、吾妻先生を思い出すことが多いです。

例えば、映画『ジョーカー』。

あの、現実に〈妄想〉でたちむかった主人公の姿。異形のヴィランの物語から、濃厚に漂う〈暴力性〉を洗い落として行くと、『夜の魚』(1984)や『地を這う魚』(2005)といった闇を内包した傑作短編、幻想的でもある『海から来た機械』(1981)などそして当然『失踪日記』(2005)が現れてきます。

芸人志望のピエロである不運続きの〈被害者〉アーサー・フレックが、自閉のはてに暴力/ジョーカーという〈加害者〉にいたったのは、簡単に拳銃が手に入ってしまうというアメリカ社会の必然だったかもしれませんが、同じく胸につまる物語だとしても、敗戦によって暴力の肯定を弾劾され、それよりも手塚治虫という神様によって、おたく的精神の苗床が発展した日本では、吾妻作品のような、可愛く&醜く、美しく痛々しい、ギャグが散りばめられた傑作群が生まれたのではないのでしょうか。

私の個人的な思い出では、けっこうな機会で編集者としてお付き合いさせていただいたのですが、そこには良くしていただいた記憶しかありません。

先生と声がけしたことがなかったので、以降は吾妻さんと呼ばせていただきます。

吾妻さん&吾妻作品とは、私の人生では3段階でお付き合いさせていただきました。

まず記憶として残っているのは、小学生のころ、秋田書店「まんが王」で読んだ『二日酔いダンディー』(1970 – 1971)、『エイト・ビート』(1971 – 1972)で始まり、『ふたりと5人』(1972- 1976)『チョッキン』(1977 – 1978)などなど、「少年チャンピオン」連載作たちを読んでいた、単純なマンガファン少年期。(その中では、『きまぐれ悟空』(1972)は、赤塚ギャグでは見慣れないタイプのキャラクターたち、そして手塚『W3』と通底する「まだ居るんです」オチもあり、SFへの傾倒を後押ししてくれました)

そして第2期は、SFマンガとして愛読したひねくれ気味のSFファン期。

徳間書店では、「アニメージュ」増刊として1979年にスタートした〈SFコミックス〉を冠にすえたマンガ誌『リュウ』(石ノ森章太郎オリジナルの『幻魔大戦』を看板にしたもので、その誌名は石ノ森の代表作『リュウの道』などのリュウ三部作からとられている)での作品群=『ぶらっとバニー』(1979-1982)やパロディ精神あふれるカラーマンガ『吾妻ひでおの幻魔大戦』(1980)(「幻魔大戦」のパロディは同徳間書店の「SFアドベンチャー増刊号/平井和正の幻魔宇宙」(1982)誌面で『わんぱく丈くん』を発表)。また「アニメージュ」本誌でも1982年4月号では、吾妻さんのパッケージによる「ロリコントランプ」が付録となりました。

徳間書店以外でのSF領域内での活動では、早川書房「SFマガジン」での『メチル・メタフィジーク』の連載(1979)。今はなき東京三世社(-2010)の「SFマンガ競作大全集」での発表作。しかし、なんと言っても重要なのは奇想天外社のSF専門誌「奇想天外」。本誌別冊として刊行された「SFマンガ大全集 Part2」(1978)に掲載された『不条理日記 立志篇』、この短編1作で翌年の第18回日本SF大会「MEICON-3」で、第10回星雲賞コミック部門を受賞することになりました(星雲賞で「コミック部門」が設立されたのが前年からのことで、ちなみに第9回が竹宮惠子『地球(テラ)へ…』、つぎの第11回が 萩尾望都『スター・レッド』。お二人の「24年組」の巨匠に挟まれていることになりますが(竹宮惠子:昭和25年2月13日生、萩尾望都:昭和24年5月12日生)、昭和25年2月6日生の吾妻さんも明らかな「男・24年組」になるのです。

またまた個人的なことですが、この「MEICON-3」が、私が初めて参加した日本SF大会で(当時15歳、地方在住のボッチSFファンでした)、はじめて生の吾妻さんをお見掛けし、「ファンです、頑張ってください」といま自問してみると「何を?」なお声がけをした記憶が残っています。

『不条理日記』はその後、1979年には、当時話題となっていた自販機本「劇画アリス」にて「しっぷーどとー篇/回転篇/帰還篇/転生篇」と続編が連載され(当時の編集長は、のちにSF作家・コラムニスト・TV司会者となった亀和田武)、同年、奇想天外社からコミックスが発売されました。これは自販機本などを購入できない地方の高校生にとっては大変うれしいことでした。そして1981年には奇想天外社からは『奇想天外臨時増刊号/吾妻ひでお大全集』が刊行。

八〇年代初頭の吾妻ひでお人気はすごいものでした。マンガ週刊誌を抱えるような大手出版社ではなく(秋田書店のようなマンガ出版の老舗も、例外としてありましたが)、1980年発売のコミックスが11冊、1981年が『少年/少女SFマンガ競作大全集増刊号』として発売された企画本『PAPER NIGHT ペーパーナイト』を含めると7冊、1982年12冊と毎月のように新刊が書店に並んでいたのです。

まさに吾妻さんは70年代末から80年代初頭をかざるポップスターだったのです。

一時期(たぶん90年代~0年代にかけて)、サブカルとオタクの対立構造が語られたりもしていましたが、当時は、そんな壁などやすやすと越えうる存在が〈吾妻ひでお〉だったのでした。

しかし、80年代後半となると事情が変化していきます。

吾妻作品の発表は減り、当然新刊の発売も限られてくることになりました(たぶん多くの出版社で吾妻ファンの編集者が企画提案を続けたのでしょうか。過去作品を仕立て直した単行本が継続的に出版され、後年(たとえば今)書誌を見るだけでは当時の雰囲気は分からないかもしれません)。個人的にはその時代景色の変容は、「SF」というレッテルの価値の変化と同調するように感じられてなりません

私が徳間書店に入社して、「少年キャプテン」の編集者となったのは1987年春――昭和でいうと、残り2年を切った62年。何かが終わって、何かに代わっていく、そんな時代でした。

吾妻さんは、漫画業界では後のカテゴリーでいう「消えたマンガ家」のような存在となっていました。

正確に何年のことだったかは覚えていないのですが、徳間書店の同じフロアには休刊した「リュウ」の編集長であった校条満氏が(編集総務)として私と机を並べており(校条氏は虫プロ商事で多くの単行本を編集しており、虫プロコミックス全般に加えて石ノ森章太郎『ジュン』の初版もつくった歴史の生き証人です。詳細は大塚英志『二階の住人とその時代 転形期のサブカルチャー私史』に)、彼から失踪中だという吾妻さんの状況をきいたり、まんだらけで販売された吾妻さんお手製のオブジェを購入したりもしました(後年引っ越しの折に壊れてしまいましたのが心残りです)。

最期の第3期が、編集者としてお付き合いいただいたのが、2006年から10年間ほど。

まずは、多くのマンガ家の皆さんにご協力いただいた、「あなたの地元を沈めませんか・テーマ」の描きおろしアンソロジー『日本ふるさと沈没』(2006)での短編『帰郷』、ほか「COMICリュウ」創刊号では1993年の『定本不条理日記』に収録された『不条理日記93……あとがきにかえて』以来13年ぶりの『不条理日記2006』を、あと〈萩尾望都SF大賞受賞記念〉としてお二人の対談とエッセイマンガ、同誌の新人賞の選考委員は吾妻ひでお&安彦良和のコンビでずっとお願いしていました。「COMICリュウ」から抜けてからは書籍では香山リカ弟・中塚圭骸とのトーク本『失踪入門』(2010、この本文中で高野文子:鼎談も実施)、小松左京追悼本『さよなら小松左京』(2011)での『ゴルディアスにも結べない』、ムック『非実在青少年 読本』での吾妻ひでお×山本直樹×とり・みきのクロストーク、西原理恵子・月乃光司との書籍『実録! あるこーる白書』(2013、この書籍の発売記念イベントではメジャーデビュー前の大森靖子も歌で参加)、また私が「ハイパーホビー」誌に異動してからは同誌休刊時期に刊行した隔月ムック「キャラクターランド」での吉田豪インタビュー、同9号の冊子付録「シン・ゴジラとは何だったのか?」に収録した『大統領特使さとみちゃん』――たぶんこちらがお仕事お願いした最後になるでしょう。

吾妻さんとは約10年の間、何度もお会いしていました。ほかの方々が酒類を口にする中、本当かそうでないかわかりませんが「もう飲みたいとは思わないよ」と語ったり、アルコールが原因で亡くなられた方々のことを話しながら些か悲しげに笑ったり、「禁煙より禁酒をみんな訴えるべきだ」と言って連続でタバコに火をつけたり、ギターを練習し始めたけどなかなか上達しないとか、いつどんな精神状態になるかわからないから電車は各駅停車しか乗れないといったこと、さまざまなSF作品の感想など、いろんなことをお聞きしました。

私が徳間書店を退社し、復刊ドットコムに席をうつした2017年、吾妻さんはご自身の癌を公表いたしました。

復刊ドットコムでは吾妻さんの担当編集が存在したので、仕事をご一緒する機会はなかったのですが、癌公表の前も後も、幾度かにわたって、いつもの保谷駅前の珈琲館で吾妻さんとはお会いいたしました。いささか猫背でチェーンスモークで語る吾妻さんの姿に変わりはないように見えました。昨年末、私は大病して倒れ、一歩間違えれば死んでいたのですが、本年春に退院し、フリーの編集者となることになったときに、復刊ドットコムの担当氏から「吾妻さんが心配していた」と聞きました。あまり携帯電話がお好きではなさそうだった吾妻さんから「携帯に電話してもかまわない」とのメッセージをいただいていたのですが、お会いするとなると、かなりのご無理をかけるのではないか、と連絡とることに腰が引けていたところ、今回の訃報が飛び込んできました。

今ではお会いしておけばよかった――と思います。

昨年から今年にかけ、80年代90年代のサブカルの検証が相次ぎ、根本敬作品や「鬼畜系」といった切り口への、パワハラ・セクハラ・モラハラといった立ち位置からの批判があり、コンビニからのエロ本の撤去(ついでに言えば、飲食店での室内完全禁煙なども)が進行しています。そんな現在から考えれば「ロリコン」など唾棄するべき考えなのかもしれません。しかし、吾妻作品には男の欲望を暴力として描くようなことはなされていません。美少女たちは加害の対象となる一方的な被害者ではなく、人格の欠落した〈物〉として踏みにじられることはありません。ミャアちゃんも阿素湖素子もちびママちゃんもななこも、〈純文学シリーズ〉のあの子もこの子も、踏みにじられることを〈是〉としない強さをもち、そこで登場する男や怪物や異様な機械たちは、彼女たちに睨みつけられたらシオシオと負けを認めることを厭わない強者とはかけ離れた存在なのです。むやみに拳銃などを使ってはいけないのですよ、ジョーカーさん!

コメディアンになりたかったジョーカーと、ギャグマンガ家であり続けようとした吾妻さんの志向は、本当にコインの裏表のように思うのです。ですから今回の『ジョーカー』には登場していませんでしたが、〈ジョーカーさま好き好き〉なハーレー・クイン(キャラクターの誕生は1992年と、意外と最近。来年『華麗な覚醒』するらしい)よりも、例えば猫山美亜(『スクラップ学園』主役ミャアちゃん)のほうがよっぽど強いし、先進的なのです。

時代の気分、時代の実感というものは当事者たちが去ると薄れていき、さまざまな誤解や無理解が生じるものですし、海外からのごり押しや、故意に政治的に読み替えようとする風潮が発生する場合があります。私としては、吾妻作品にそのようなことが決して起きたりしないよう、10年後20年後も読まれ続けられるよう――祈っています。

すでにかなりのテキスト量を重ねてしまいました。

そろそろ終わりとしたいのですが、最後にいくつか――。

吾妻さんとの思い出で、私がもっともお役に立てた(この表現でいいのか疑問ですね。どちらかというと草履を温められた?)のが、2006年、出版されたばかりの篠崎愛ファースト写真集『START DUSH!!』をプレゼントしたこと(これをきっかけにファンになられたとのこと)。嬉しかったのが某作品の主要キャラを「これあなただから」といってくれたこと。編集者として心残りだったのが、吾妻さんも大ファンであった筒井康隆さんの『旅のラゴス』を「マンガ化しませんか」と提案した折に(まだ筒井さんにお話していませんでしたが)、「畏れ多いし、もう、ページ数が多くて、締め切りのある仕事を受けることは難しい」と(その後も、前記したように細かな仕事はいくつもお引き受けいただいたのですが)実現させられなかったことでしょうか。

吾妻さんによって生まれたカルチャーは数多くあるのですが、それこそきりがないので(たとえばTYPE-MOONのゲームだって、新海誠映画だって)、ここまでに。
とにかく吾妻ひでお先生、同世代の皆々を代表して、ありがとうございました。

吾妻ひでおファン葬
日程:2019年11月30日(土)
関係者献花:14:00~15:00
ファン献花:15:00~17:00(※上記終了次第開始)
会場:東京都 築地本願寺第二伝道会館 瑞鳳の間
住所:東京都中央区築地3-15-1
※献花用のお花は会場に準備されていますのでそのままおいでください
※服装は自由です

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